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東京地方裁判所 昭和43年(ワ)8688号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕次に原告のいわゆるプライバシー権侵害による不法行為の主張について判断する。

(1) 原告がプライバシーの権利と称するものがいかなる権利かは定かでない。通常プライバシーの権利とは「私生活をみだりに公開されない法的保障又は権利」を言うものであり、右の公開とは不特定又は多数人の知りうる状態に置くことを意味し、或る者の知り得る状態に置いた場合にその者が特定者と言えるか否かは、その者と知らせた者との関係、知らせ方の態様、動機等の事情を考え併せて判断すべきものと解される。

これを本件について見るに、……によると、○○○○は昭和四一年三月定年退職するまで、被告大学法学部において十数年間教授又は兼任講師として民法総則ならびに財産法を講義したところ、昭和四三年五、六月頃、被告中央大学で永らく教務係を担当して顔見知りの職員宮司正明(当時管財課長)に対し、自分が中央大学で原告を教えたことがあると思うが確認の資料として同人の答案を見せて貰いたい旨告げ、ないとの返答を受けると、それでは成績表でも見せて貰いたい旨告げたこと、よつて右宮地正明は前記一の当事者間に争いのない事実のとおり、被告大学法学部事務長田上愛之にその旨伝え、右田上事務長は本件成績証明書を交付したのであるが、右宮司正明は、長年被告大学教務課に勤務した経験上、○○○○の前記経歴と人柄を知つていたので、同人を信用し、同人が原告の就職の世話でもするのに必要だろうと推測してその申出を田上事務長に取り次いだこと、田上事務長はかねて○○○○が被告大学で民法の講義をしていたことは知つており、同人が教え子の原告の成績を知りたがつていると聞いて、通例教員又は教員であつた者が教え子の成績を照会するのは卒業後の就職或いは結婚のあつ旋が殆どであり、かつ通常は教員は人格者であり本人の不利益に成績証明書を使用することはないことなどを考え、右○○○○が原告の就職等に使用するものと考え、同人が成績表をメモする手間を省くためこれを複写して受付したこと、原告が○○○○の教え子か否かを確認するためには、答案の外履修届受験届による外はないが、これらの保存期間は被告大学では最大限一〇年であり、原告のこれら書類は既に焼却済と推認され、よつて今日では確実な証拠はなく、○○○○としても、永年民法を講義したことから、原告が民法の講義を数多く受けていたならば、それだけ自分の教え子である推定が強まると考えてその成績を知りたいと考えたこと、以上の各事実が認められる。

以上のところからしてみると、大学の学業成績が私生活に属するか否かはさておき、本件成績証明書の○○○○に対する交付は、被告大学と○○○○の従来の関係、交付に至る経過等からして、不特定又は多数人の知りうる状態においたものということはできず、これをもつて前記公開と称することができないことは言うまでもない。もつとも、○○○○が本件成績証明書等を公開の法廷に提出したことは公開といえるが、前記認定のところからすると、被告大学職員が前記当事者間に争いのない行為をした当時、右結果を予見せず、また予見しなかつたのは当然と判断されるから、過失により原告のプライバシーの権利を侵害したとの主張も失当である。したがつて、私生活を公開したことによるプライバシー権侵害に基づく不法行為の主張は失当である。

(2) 原告は、被告大学が原告の承諾又は承諾が推定される事情がないのに○○○○に原告の成績を告知したのは原告のプライバシー権を侵害する違法行為であると主張する。

なるほど、人間の尊重を基礎として、人間の品位の尊重と保護または人格の尊重を重視し、刑法第一三三条、同法第一三四条、軽犯罪法第一条第二三号、民法第二三五条等の法意に照らせば、大学における学業成績も、いわゆる個人の秘密領域或いは私的領域として、法律上尊重されるべき法益に属し、これが侵害され、よつて恥辱を受けるなど精神生活の自由と平穏を害されたときには、これによる慰藉料を請求することができるものと解されないではない。しかし、仮にこの点を積極に解するとしても、直ちに、原告主張のとおり被告大学が本人の承諾又はこれを推定させる事情がないときに学業成績表を交付することはできない。けだし、非公開を前提として出される私信のごとく純粋に私的なものと異なり、学業成績は、本人において教育の効果がどの程度挙つたかを客観的に表示するものであり、そして、被告大学法学部における教育が教育基本法第一条に従い心身ともに健康な国民を育成するためになされたものと推認される以上、保護者が今後の教育の指針を得るなどのため、また、他の第三者が本人の社会生活上の能力の有無を判断するなどのため、これを利用することがあるのは当然であつて、その意味では私的領域のみにかかわるものではなく、社会的性質を有し、これを全く当該個人の私物視することは不当であり、正当な社会的に肯認される必要性のある場合(例えば学業成績の優劣が詐欺又は要素の錯誤の内容である場合その法律行為の効力を確定させる資料とするときなどに)まで、本人の承諾又は承諾を推定させる事情がないかぎり、成績証明書を交付することができないとすることは、社会又は第三者の正当な利益を無視し、合理的理由を欠く主張といわねばならない。故に、○○○○への成績証明書交付が原告の承諾を欠く点で違法であるとの原告の主張は失当といわねばならない。

原告はこの点に関し、更に、第三者が本人との続柄や関係を詐称することがあるから本人の承諾なしに成績を告知することは違法である旨主張するが、単にそれだけの事柄で違法とすることはできず、また原告は、官公署の請求ある場合でもその正当性と必要性ある場合にのみこれに応じるべきであると主張するが、例えば家庭裁判所が少年保護事件の処理上学業成績を照会する場合など司法、行政目的上右請求の理由を明らかになし得ない場合にまで、その正当性必要性を単なる一私人である大学に判断させることは不能を強いるものであり、いずれにせよ、右の原告主張は、独自の見解に出たもので、到底首肯できるものではない。

(3) 次に原告は、被告大学が第三者に原告の成績を告知するときには、その必要性の有無の判定が正しくなされるよう努力し、よつて右必要性がない場合にまで右告知がなされることを未然に防止すべき注意確認義務があると主張する。なるほど、(2)中段に述べたところからすると、右の点に関する原告の主張は首肯し得ないではないが、前述のとおりの大学の学業成績の社会的性質からして、また被告大学法学部は我が国有数の私人大学法学部であることは公知の事実であるから、これを卒業したこと自体通常人として水準以上の法律に関する学識を有することの証明であり、その学業成績が特に劣等でない限り、これを前科のごとく著しく社会的評価を下げる事実と同視し得ないことからして、その告知につき原告主張のような厳重な注意確認義務を課することは、決して相当とは解し得ない。

大学において第三者に卒業生の学業成績証明書を交付するに際し、本人のプライバシー権の侵害を防止するため、いかなる確認ないしは注意義務を負担するかは、交付請求者の社会的地位、本人との関係、交付請求の事情、使用目的など諸般の事情により異なるものと解されるが、被告大学職員が本件成績証明書の公開法廷への提出をその交付の際に知つていたことを認めるに足る証拠がないことは前記のとおりであり、前記のとおりの経歴を有する○○○○から旧知の職員をたよつて前記のとおり一応の使用目的を示して申出があつたこと、○○○○が我が国民法学の権威であることは当裁判所に顕著であること、前記のとおり一般に大学の教員は人格者として通用し、教え子の成績を求めるのは殆んどその結婚就職のあつ旋のためであることなどからすると、被告大学職員において○○○○への原告の成績証明書交付にあたり原告のプライバシー権の侵害防止のために更になんらかの確認または注意をなすべき義務があるとは考えられないから、本件成績証明書交付につき被告大学職員に不作為の違法があるとは到底解することはできない。よつて、原告の個人の秘密領域又は私的領域の侵害による不法行為の主張も理由がない。(野田殷稔)

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